今の運送方法について悩みや、輸送について問題を感じている方に読んでほしい。人力車に学ぶ輸送の原点とは?
「複雑に入り組んだ現代の物流社会に鋭いメスを入れ、さまざまな謎や疑問を徹底的に究明する・・・・」
と、どこかで聞いたようなフレーズですが、現代の物流事情ってなかなか複雑ですよね。
ふとした事から思った物流の原点とは?その原点って忘れがちじゃないでしょうか?
そんな事から今回は書いてみました。
今、輸送をお願いしている会社や、輸送について問題点を感じている内容はこうではないでしょうか?
現状、輸送をお願いしている側や輸送依頼を請けている会社が沢山ある訳ですが、日々さまざまな疑問を持って過ごしておられる方って多いと思います。「それって必要なくない??」「それって、こうすればもっと効率的に輸送できるよね??」並べればキリがないくらいあると思います。その解決方法は色々とセッションして一つずつ解決していく訳ですが、一つ大きな前提を忘れがちです。もっとシンプルに考えればどうなるだろう?私たちはとかく複雑に考えすぎではなかろうか?そんな問題に向き合ってみました。
今の輸送サービスについて色々と思うところがあったのですが、最近人力車を見たときに「これって運送の原点じゃないの!?」と思うところがあり、思うままに書いてみました。
弊社(たちばな運輸)は世界的観光地の嵐山に近く、渡月橋もあり多くの観光客で連日賑わっています。
色々なお土産屋や食べ歩きの物も多く売っていますが、観光客を乗せて色々と寺院や竹林などを案内しながら回ってくれる人力車も多く走っています。
嵐山界隈は少しアップダウンある所もあり、筋肉隆々としたお兄さんやお姉さん達の車夫が力強く引っ張っているのを見ると、本当に感心します。毎日見るのであまり今までは何も思わなかったのですが、あの人力車を見ていて思うのは「これって運送の原点じゃないの!?」と思う訳です。
昔は佐川急便のロゴにあるように飛脚が荷物を担いで運んでましたし、その後は大八車のようなもので担ぐより大量の荷物を人力で曳いていた訳です。随分と昔に同業の大先輩から笑い話のような事を聞いたのですが、当時その大先輩達は大八車のような物で仲間と輸送していたらしく、その仲間に佐川急便創業者の佐川清さんがおられたようです。
ある時に皆と談話していた際に佐川清さんが「俺はオートバイを手に入れて、それで荷物を運ぶ!」と言われたらしく、周りの仲間からは「そんなもん運び屋稼業がオートバイなんか必要あるかっ」と皆が笑ったようです。それがきっかけとなり京都〜大阪までが今までとは比べ物にならないくらいに往復出来るようになり、後にその大先輩が「あれが運命の分かれ道やったなぁ」と笑いながら言われておられました。本当にどこにヒントがあるか分かりませんね。
話しを人力車に戻しますが、昔は静岡県にある大井川なども人力で川越しをしており、共に本当に運送の原点であると考えられます。現在の人力車は日本中の有名な観光地にはほとんどあるようですが、料金はまた結構な金額がします。30分観光コースとか120分観光コースなど色々とプランがあり、日本人はもちろんですが、外国人観光客には大人気となっています。その時間を色々と車夫に案内していただき観光地を移動していく訳ですが、多言語を話せる車夫は仮に運賃が高かったとしても、実はめちゃくちゃ利益率がいいようです(料金はまたサイト等で見て下さい)。燃料はいらないし人力車本体もトラックみたいに高価な訳ではないですし、高速代も必要ない。保険はあるとは思いますが、あったとしてもトラックやバスのような値段ではないはずです。鍛えた体と巧みな話術、本当にシンプルな運送だと思います。
そこから考えると、現在の運送というビジネスモデルは非常に複雑になっていると思います。あえて言うならば、複雑に考えすぎていると言っても過言ではないでしょうか。あれば多少は便利が当たり前となり、過剰過ぎるサービスになっているのかもしれません。実際のところ明日にすぐ到着しなければ命に関わるというような商品というのは、大げさに言えば治療の薬品か血液くらいなのではないでしょうか。ECサイトをポチっとクリックすれば明日に届くというのも、過剰過ぎる現代のサービスと思われます。
また、複雑さに対抗するのに明確な交渉ができない為にとりあえず値下げという行為も、身を削るやり方でしょう。考えると、多少便利なモノって本当に必要なのでしょうか?家電製品でもそうですが、余分な機能が付き過ぎて、実際に必要な機能以外の8割は使わない気がします。日本の文化というべきか考えが、そういうガラパゴス化の根源なのかもしれませんね。
ビジネス自体を究極にシンプルに考える
先日テレビを観ていたところ、東京の老舗のおでん屋さんが出ていました。創業70年くらいだったと思いますが、創業当時から串刺しの持ち帰り専門で貫いているとの事でした。年配の大将が出ておられて番組から「なぜ持ち帰り専門なのですか?」と聞かれたところ、非常に驚く答えだったのですが「持ち帰り専門だとお皿がいらないし、水を出すコップもいらない。必要なのは串だけ」と言われておられました。確かに店内で食べるとなると、お皿もお箸も必要になり、お酒も提供という流れになるでしょう。それを提供するという事は洗う事も必要だし、ワンオペが難しくなる。そのお店の一番の商品はおでんなので、それだけに集中したいと考えるとこのお店のやり方は正しいとなります。
また、先日、とある運送業の社長のお話しを聞いたのですが、その方も非常に興味深い事を言っておられました。そこは中国地方の食品関連の輸送をやっておられるのですが、食品共配・混載の輸送以外はやらないし、チャーター便もやらない。ライバル社と競りたくないし、電話もしたくないので協力会社に再委託する事もしない(全自社便)と言っておられました。事業領域に選択と集中を徹底的に繰り返しスリムにし、仕組みを作ってそこにお客様を載せるようにする。更に自分がやりたくない事は徹底的に排除してコアな部分に集中するという究極の思考で、それでいて増収増益で現在は数十億規模の会社になっておられるとの事です。
このおでん屋と食品物流の事例は究極のやり方とは思いますが、冷静に考えると原点に立ちシンプルに考えた結果としては素晴らしいビジネスモデルだと思います。
同業他社と戦う為に、出来ない事をサービスにして提供するのはそれはそれでいいとは思います。それを求めておられるお客様もおられるとは思いますので、当社も思考を繰り返して新しく提供できるサービスを絶えず考えております。最近ですと、貨物も人も一緒に運べるように貨客輸送の許可も取りましたし、以前からお伝えしている「その荷物、本当に今運ぶ事が必要ですか?」という逆転発想の提案も行っております。しかし立ち止まり考え直すと、本当にそれが必要なのか?輸送の原点とは何なのか?利益を出す為にそれは正しいのか?そういう風に考える事も出来ます。どちらが正しいとは一概には言えませんが、先ほどの例にもあるような人力車とおでん屋さんの例を参考に、運送業のビジネスモデルの原点とは何か?を考えていく事が、これからの時代により必要とされるかもしれません。この辺りは表現が非常に難しく誤解も招きそうですが、究極は運んで喜ばれる→その喜んでもらえる為に付随する隣接サービスを行うという事が正しいはずですが、最近は輸送システムを考案してお客様に喜ばれるが、システム作る事だけが目的になってしまい、結果として目的が変わってしまっている事が往々としてあるように感じます。
究極にシンプルに考える。そのサービスを提案する目的は何なのか?目的も曖昧なまま大風呂敷を広げる時代は変わっていっているのかもしれませんね。
時は令和。昭和時代のような高度経済成長期ではありませんし、その時代の考えを押し付けるのも違います。当社としてはお客様に寄り添い、本当にどういう提案が必要なのか?を常に考えております。立ち話や冷やかしから生まれるアイデアも沢山あると考えておりますので、今の物流に疑問点や違和感があれば一度ご連絡ください。きっと今まで見えなかった部分が見えて来るはずです。
最後までお読みいただきありがとうございました。